オーストラリア・シドニー | オーストラリア文化

外国人差別の是非?

2019年11月8日

オーストラリアに移り住んでから外国人差別を受けたことがあるかどうか自問自答してみました。

 

・・・ないかもしれない。皆さんはありますか?私がまだワーホリの計画を立てつつ日本に住んでいたころ、外国人である自分がオーストラリアからどのように受け入れられるのだろうと不安を抱えていました。

 

だって私の出身地の片田舎で働いていた出稼ぎのブラジル人やペルー人達は明らかに差別を受けていたんですもの、とても悲しいことですが。

 

私がワーキングホリデーでシドニーに来たばかりの頃は右も左もわからないような状態だったので自分がもし差別を受けていたとしてもそれに気づいたことはありませんでした。今思い起こしてみても差別に値するような経験は全く記憶にございません。単に私が鈍感なのでしょうか。

 

ジャパレスで働いていたときにオージースタッフとお給料がどうやら違うことに気がついたときは「まあ仕方が無いかな」と妙に納得していたし、第一オーナーが日本人や韓国人だったのでそれは外国人差別しているわけでなく「足元を見ている」だけだと思うのです。

 

当時のタイ人や韓国人のお友達の中には、タクシーやバスが止まってくれなかったり、レストランで店員が気づかなかったりすると「外国人差別・人種差別」とやたらそれに繋げたがる人がいましたが、私にとっては「忙しくて気づかなかっただけで悪気はない」んじゃないかと思えるようなもので物は考えようですよね。

 

特にそのタイ人の男の子はオージーのサッカーチームに入るように誘われたときに「僕アジア人だけどいいの?」なんて聞いちゃうような人で、おそらく彼自身の潜在意識の中に卑屈な何かがもともとあったんじゃないかと思います。

 

「アンザックデーの日に外出すると日本人は卵を投げつけられることがある」とある人から聞いたことがあるのですが、それはきっと何十年も昔の話だったのかもしれません。私個人的にはそれを体験したことも、体験した人に遭遇したこともありません。

 

ビザの種類のために様々な条件の下に生活しなくてはならず、ときどき苦い思いをすることもあるかもしれませんが、それは決して差別ではなく必要な区別であると思います。様々な国からの外国人をオーストラリア国民と全く同じ条件で国に入れてしまうと、混乱を来してしまう可能性が高いですから。

 

職種によってはオーストラリア国籍保持者のみしか就労できないものもありますが、オーストラリア国籍を取るチャンスも人々に平等に与えられているので納得できます。

 

多文化主義のオーストラリアは街に外国人がいるのが当たり前のことで、人々は生まれてこの方ずっとそれが目に触れる状況で暮らしてきています。オーストラリア生まれでない国民が多数を占めるこの国では、銀行で中国人が働いていようが、タクシードライバーがインド人だろうが、移民局で働いている人がいかにもスペイン語訛りで話そうが、それは当然のこととして人々は何も疑問を持たずに生活しているので、外国人差別というものがオーストラリア国内で起こる確率は日本におけるそれよりぐっと低いように思われます。

 

外国人慣れしているオージー達は、英語を話せない相手にでも全くひるまずに陽気に話しかけてきますよね。そしてそれはとてもステキな国民性だと個人的に思うのです。

 

日本人であるが故に得をすることもあります。例えば日本人は仕事も丁寧でまじめに働くという評判があるし、きれい好きでおとなしい人種としてフラットメイト募集のときにはよく好まれます。

 

日本という国がオーストラリア移民法のもとでアセスメントレベル1として定められているために他国の人々に比べてよっぽど学生ビザを楽に取れます。 差別だとは思いませんが、不利だなと感じることがあります。

 

それはアパート探しの際にひとつの物件を巡ってオーストラリア人と競争しなくてはならないときです。私は現在自分名義でアパートを借りて一人暮らしをしていますが、常によりよい環境に越したいと思っていてよくインスペクションに足を運びます。

 

しかしながら良い物件を見つけてもめったにそれを獲得することができません。というのは良い物件というのは必ず他にもそれを良いと思っている人が存在していて、ときにはそれが何人にもなることがあり、複数の申し込みがあった場合はそのアパートの持ち主が店子を選ぶことになるからです。

 

私は正社員として仕事をしていてある程度の安定した収入もあるので問題ないと思っているのですが、例えばオーストラリア人の同い年の候補者と比べた場合、絶対的に職歴がこの国では短いし、そのためお給料も年齢の割にはまだ少ないのかもしれません。緊急連絡先の欄にオーストラリア国内に住んでいる父親の名前を書くのと、(私にはオーストラリアに親族がいないので)友人の名前を書くのとはやはり信用度が違います。

 

シングルの外国人女性が自分名義でアパートを借りる場合、人気のある街である程度条件の良い物件をDomain.com.auで探して競争に勝ち抜くのはよほど高給取りでないと無理かもしれません。実際私が現在住んでいるアパートも6件目にして不動産屋に泣きついて融通を利かせてもらったから入居できたようなものなんです。やはりオーストラリア歴が短い分多少の不都合さは目をつぶらなければいけないのでしょう。

 

オーストラリアの中でも外国人差別や人種差別が存在していることは残念ながら確かなようです。おそらく個人のレベルではそれを感じない程度のものなのか、幸いなことに日本人限定での差別というのは私が経験したことはありません。

 

もし仮に私が軽い差別を受けていたとしても幸か不幸か鈍感なので気がつかないでいるだけという可能性もあります。そしてその鈍感さと言うのは海外で生きていくのに必要なものなのかもしれません。

 

楽観主義者は半分ビールが注がれたグラスを見て「半分もある!」と喜び、悲観主義者は「半分しかない」と悲しむように、ニュートラルな事象をどのように捉えるかによって物事の見え方がまるっきり変わってきます。

 

できればいつも楽観的に人生を明るく楽しく生きて誰からも好かれていたいですよね。

 

今日もルンルンのMIKAでした♪

 

*この記事は2006年9月に某オーストラリア日本人コミュニティサイトに掲載されたものです。

*2019年追記:その後の経験を経て、このテーマに関していつか追加記事を書こうかと思います。2006年時点では私のオーストラリア経験は5年でしたが、今はその3倍以上があり、見解が少しずつ変わってきました。2006年時点ではシドニーの都会目線で書いていたなあ、と思います。

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