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セクシーなのは良いことか?

2019年11月19日

英語圏での「sexy」という言葉は、日本でときどき使われる「セクシー」よりもっと日常的に交わされているような気がします。魅力的なこと、女性的(男性的)なこと、性を少しでも意識させるような状態で、それが良い方向に働いているのであればそれは「sexy」。例えばフェミニンな髪型に変えてそれが似合っていたら「sexy」、ブラピも「sexy」、谷間が見える服を着ていなくてもその人の雰囲気が女性的に魅力的であれば「sexy」。そして人々はそれを本人に伝えることを躊躇しません。だって褒め言葉なんですもの。

ただ、セクシーになりたいがために見え見えの努力をしてはいけません。オージーの女の子達は基本的に露出度がアジア人女性よりも高いので、胸が大きく開いたドレスを着たり、ノーブラでキャミソールを着たりしても、人々はそれに慣れきっていて特別な反応はあまりしませんが、日本人女性がそれをやるとなぜだか「やりすぎ」な印象を受け、セクシーを通り越し、「Slutty」なイメージとなってしまいます。

例えば数年前に私が韓国語講座を受けているときのこと。クラスメイトにハナコさんというアラサー日本人女性がいました。同じクラスのTomというオージーの男の子が私にこっそり「Do you think Hanako is trying to be sexy?」と苦笑いしながら聞いてきました。そういえばハナコさんはいつもひらひらしたミニスカートと谷間を見せるようなトップを着ているかも・・・。ただ、ちょっといまいちセンスが悪く、Tomにとっては「She is trying too hard.(無理しすぎ)」という印象になってしまっていたのです。こうなってしまうと元の木阿弥で、逆にセクシーじゃなくなってしまうんですね。

欧米人にとってのセックスシンボルと言えば、マリリン・モンローの様なブロンドで、胸とおしりが大きな女性。ただこのイメージは極端で、セックスの象徴とされてはいるものの、一方では頭が空っぽな女性(Bimbo)の象徴ともされています。それにより、ブロンドで胸が大きく生まれついた女性達は、その特徴を生かしてまるでバービー人形のようにセックスアピールを活用して生き延びて行くか、素晴らしいことにブロンドだけれども賢い頭脳まで授かった人は、逆に世間の固定概念を払拭するためにセクシーさを押し殺し、頭脳を最大限に活用して生きていくという、どちらかを選択することが多いようです。

確かにバービー人形みたいなオージーの女の子達を見るとセクシーだな、と思います。ブロンドで目が青く、肌がぬけるように白かったり、逆に小麦色に焼いているような女の子達がフェミニンなドレスを着て、つやつやしたグロスを唇に塗ってバーでカクテルを飲んでいたりする光景を見かけると「かなわないなあ」と心底思います(対抗できるなんて最初から思ってないんですけどね)。

ただ、そういうわかりやすいセクシーさはOne night standをする可能性が一番高いと言われているオージー男性の餌食になるのは明らかなので、それが嫌な場合は常に慎重に行動するように心がけることが必要です。容姿がへたに美しくてセクシーだと、見かけだけにこだわる狼が寄って来やすく、Bimboだと勝手に決めつけられてやられてポイされる可能性が高まります。

余談ですが私の勤める英語学校の卒業生でとても魅力的な20歳の日本人の女の子がいるのですが、彼女はときどきCityを夜歩いていると、「$200!」なんて声をかけられたりすると言うので驚きました。失礼しちゃいますよね。

私個人のセクシーな女性の理想像は、才色兼備だが「色」を見せびらかさない人。「色」の部分は実は隠そうとしているけれど、生まれ持ったふんだんなセクシーさ故、ときどきそれが無意識に滲み出てしまう、という感じ。仕事はその人のセクシーさを使わなくても十分有能だが、たまたまそれも持ち合わせているので一歩間違えたら「あの人女を使って出世?」だとか取引先や上司から「今晩食事でも・・・」なんて話になりがちなのでひたすら努力して隠そうとしている。我が英語学校の受付嬢イマリちゃんなんてそんな感じです。セクシーなのにそれを決して見せびらかさず、しかしながらふとした動作にそれが感じられる。よく生徒さんから誘われてますけど、理想とプライドがとても高い彼女は一度も応じたことがありませんね。

確かにセクシーなのは良いことだと思いますが、必ずしもいいことばかりだとは言い切れません。例えばセクハラを受けやすくなるだとか、前述のように容姿やセックスアピールに釣られてパーソナリティを見てくれない男性ばかり寄ってきたりするだとかいうデメリットも考えられます。容姿やセックスで始まった関係というのは結局は長続きしないもので、長い目で見るとセクシーな女性よりももっと家庭的な、穏やかな、健康的な、セクシーさとは何か別のもので結ばれたカップルの方に祝杯が挙がるのではないかと推測します。それだったら最初から「sexy」というバリヤーがない方が、その人のパーソナリティだけを直接見て好きになってくれた相手と一緒になれる確率が高いとは思いませんか?

ここで問題です。あなたは自分をセクシーだと思いますか?

もし答えがYESなら、そのセクシーさを大切に、そして上手に使ってくださいね。時にはそれが邪魔だと思うこともあるかもしれません。でもセクシーであるということはセクシーに生まれついたあなたの宿命です。それを巧みにコントロールできるように切磋琢磨しましょう。

もし答えがNOならば、セクシーな人を羨ましがらず、とことんパーソナリティを磨きましょう。あなたのことだけを好きになって大切にしてくれる人がきっと現れます。その愛は絶対に本物ですよ。

過去「sexy」と言われたことが何回あるのか数えてみましょう。私の場合は・・・う~ん・・・。

今日もルンルンのMIKAでした♪

*この記事は2006年10月に某オーストラリア日本人コミュニティサイトに掲載されたものです。

*2019年追記:最近は小泉進次郎環境相の「セクシー」発言で一躍「セクシー」の意味合いが広がりましたね。例えばアパート探しをしていて、魅力的で気になる物件を「sexy」と呼ぶこともありますよ。

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