オーストラリアに住み始めてから約7年が経ち、かなり外国かぶれしてきたであろう私。
それでもまだ日本臭さが抜けないところがあり、そんな自分があまり好きではないので改善したいと思っていることがあります。
それはボーイフレンドを人前で褒めることができないこと。本人がその場にいれば彼のしている仕事や出身地など条件的なことだけを皆に紹介し、褒めるような発言はしません。本人がそこにいなければ逆にけなしてしまうこともしばしば。
例えば:
友人:「ミカちゃんの彼氏って背が高くてかっこいいよね。」
ミカ:「髪の毛薄いけどね。」
友人:「ミカちゃんの彼はやさしいよね。」
ミカ:「それだけが取り柄だから。」
友人:「ミカちゃんの彼氏ってどんな人?」
ミカ:「おっちょこちょいで天然ボケな人。」
心の底から好きなのに、人前ではつい意地を張って相手を見下すようなことを口走ってしまうんです。以前「私みたいな女性を誰が我慢できるっていうの?」で触れましたが、一昔前の日本で身内をけなすのが礼儀、というのと基本的には同じ考えで、ボーイフレンドをけなすことで謙遜しているつもりなのです。
特に私は恋愛はクールにしたいと思っている節があり、人前でいちゃいちゃするバカップルには絶対なりなくないという思いから、知人の前で手をつないだりキスをしたりするのはオーストラリアに住んでいても少なからず抵抗がありました。
ところがオーストラリアでは友達の前でもどんどん彼氏・彼女を褒めるのが当然の慣わしで、それは決してバカップルになっているわけでなく、スペシャルに好きになってお互いを特別な存在と認めているのだから、特別なものを特別に好きということに何ら異存なく、ストレートに気持ちを表現しているだけのことなのです。英語圏ではそういったノロケを聞いたときに必ず「Aww…」と言ったお約束の感嘆詞でもって、それをステキなことだと聞き手も受け入れています。
それは日本の視点からしてみたら「慎みがない、恥じらいがない」と捉えられてしまうのかもしれませんが、オーストラリアの視点からしてみると、「なぜ好きなものを敢えて湾曲表現する必要がある?」と日本文化の理解に苦しむことでしょう。
例えば私がつきあい始めたばかりの彼を私の友達に紹介したとき、彼はその友達に「ミカを一目見た瞬間に『Wow!』って感じだった。話してみて『Triple wow!』だったよ」なんてことを何の臆面もなく話し始めました。彼が私を彼の友達に紹介するときも同様。これは男性から女性への愛情表現だけでなく、その逆の場合もまた同じです。
友人のAliciaは当時のボーイフレンドのことを「彼はとってもステキなの。霊気マスターでもあるし、その反面政治経済の話だってできる。本当に私の理想の男性。」と彼の人となりを説明してくれ、尊敬すべきは別れた後も彼女はその言い回しを変えなかったことでした。
よく考えてみたら好きになってつきあっているのだから「とてもステキ!」と思っているのは当たり前のことであり、それを正直に周囲に伝えているだけなのに、なぜ私はそれができないんでしょう?日本人でもそれが出来る人はたくさんいて、聞き苦しいノロケにならないようにさりげなく上品に表現しているのをときどき耳にすると「見習わなくては」と心から思います。
そもそも「人をけなす」ことが美徳だと信じていたのが不思議に思えます。彼のことは素晴らしい人だとわかっているのに、ちょっとしたマイナスポイントを見つけてはそれをオーバーに皮肉ったイメージで友人に話していたのですが、いったいなぜそんなことをする必要があったのか、というと単に「謙遜」するためだったのでしょうか?
オーストラリアでは彼氏彼女のことを褒められると素直に「Thank you, he/she’s gorgeous.」、「I’m proud of her/him.」なんて言って認めるべきで、私のように天の邪鬼に否定してみたり、ポイントをすり替えたりするのは「あれ?好きじゃないの?」と相手に不可解な印象を与えることになります。もし実際に彼氏・彼女がいる前でそんな態度を取ったりしたら、もちろん相手をがっかりさせるとともに、不信感を抱かせることになるのは請け合いです。
いつか次に彼氏ができたときは「こんなにステキな人なの!」と胸を張って言えるようにがんばります。
今日もルンルンのMiKAでした♪
*この記事は2008年6月に某オーストラリア日本人コミュニティサイトに掲載されたものです。
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