オーストラリア文化

私みたいな女性を誰が我慢できるっていうの?

2023年5月30日

勘違いな人はどこにでもいるもので、オーストラリアにも日本と同じように、「自分はとても美しい」「自分はすごくモテる」「自分は人より仕事ができる」などと必要以上に自信を持っている幸せな人たちが存在しています。

 

オーストラリアではとにかく人を褒めるのが習慣で、身内を誰かに紹介するときはたいてい褒め言葉を付け加えます。例えばガールフレンドを通りすがりのご近所の人に紹介するときも、「She’s gorgeous」とさらりと言ってのけたり、職場のスタッフを取引先に紹介するときも、「We are so lucky to have her(彼女の存在は我が社にとって幸運です)」というような言葉が、まるで時候の挨拶のようにすらすらと出てきます。

 

もちろん本人に向かっても、「You are great」「You’ve done an amazing job」「Looking good」「You are doing so well」など、小さなことでも賞賛することを忘れません。

 

それにひきかえ日本では、身内はけなすのが礼儀という風潮があり、「うちの愚息は体が丈夫なことだけが取り柄で・・・」「愚妻の料理がお口に合うかわかりませんが・・・」「当社の鶴田はまだ経験が浅くてふつつか者ですが・・・」などと言いつつお客様をもてなすのが慣わしとなっていて、欧米文化と日本文化の大きな違いに気づかされます。

 

オーストラリア人は自分をけなすことはあまりしませんし、謙遜する人も少数派です。基本的にみんな「俺はすごい」「私は才能がある」と自信を持って暮らしていますし、そこまで自信がなくても、「俺はどうせダメなやつなんだ」と自分を卑下するまではあまりいきません。家でも学校でも褒められて育っているのでそれが当然のようになっていて、ときにはありがたみが薄れているのではないかと思うこともありますが、自信を持つことが大事とされているお国柄、褒めあうことは、実に自然に日常に溶け込んでいるように感じます。

 

ただしその自信が過剰になってしまっては逆に見苦しいものです。

 

日本でも必ず、一学年に一人くらいの割合でとても勘違いな女の子がいたもので、どう見てもかわいいカテゴリーには入れない二重アゴと三段腹の女の子が、ミニスカートでピンヒールを履きつつ、駄目押しに真っ赤な口紅を塗りなおしているのを、周囲は白い目で見ているものでした。

 

オーストラリアの少女達は、ピンクのドレスを着てプリンセス扱いを受けながら育つものですが、そのプリンセス度合いが行き過ぎると勘違い女が出来上がってしまうのでしょうか。最近驚くほど自信過剰なオージー女性に出会ってしまいました。

 

基本的に自信溢れるオーストラリア人達ですが、さすがに自分を心底容姿端麗だと思っている人は少なく、もし思っていたとしてもそれを口にするのはタブーとされています。自分の才能や趣味、性質などは誇らしげに自慢しますが、自分のことをきれいだとかハンサムだとか、心の中で思っていても言葉にするのはさすがに行き過ぎなのです。

 

ところが最近知り合ったギリシャ系オーストラリア人女性のRiaは、思い込みによる根拠のない自信を過剰に持つ、ものすごい勘違い家さんで、自分のことを誰よりも美しいと信じて止みません。

 

これが実際に、彼女が私に言い放った言葉です。

「Who can resist a girl like me? (私みたいな女性を誰が我慢できるっていうの?)」

 

これは、「こんな勘違い女に誰がつきあえるっていうの?」と言っているのではもちろんなく、「こんな魅力的な私に対して、世の男性がくびったけになるのをこらえることができるはずない」と言っているのです。

続けて、「私のこの黒髪と、パーフェクトボディ、巨乳、美貌・・・」とスラスラと口にし、更にはすれ違う男性がいかに自分をなめるように見ていくかを自慢気に説明し始め、私はそれを、口をポカンと開けて聞くより他ありませんでした。

 

Riaがモデル並みに本当に美しいのであれば、彼女の発言も納得できないわけではないのですが(それでも口にすると品格を下げる)、私が彼女に出会ってから数ヶ月の間に、誰一人として彼女のことを「きれい」とか「かわいい」とか言っているのを耳にしたことがなく(そういえばRia自身が何回か自分は美人だと言っていたが、冗談だと思ってました)、私も正直彼女を美しいとかナイスボディだとか感じたことがなかったため、美意識に関して混乱した私の脳細胞は次の日第三者の意見を仰がなければなりませんでした。

 

Riaのことを知っているその第三者Carolは「悲しいけどRiaは、自分のことを本当にきれいだと勘違いしているんだよね。Riaなんてハイスクールでは眼鏡をかけたガリ勉ブサイクだったに違いないよ。Riaは胸が大きい以外何の変哲もないただの娘。でもその胸もブラをつけてなければおへそまで垂れ下がっているのよ。」と辛口の彼女らしい、辛らつな回答が戻ってきて私を笑わせたものでした。

 

Riaはブサイクではないのですが、自分で自分を女神級に美しいと口に出して言う行動が、CarolをしてRiaをブサイクと言わしめてしまうのでしょう。

 

その自信がどこから来るのかわかりませんが、Riaは世の中の男性全員が自分に夢中になると思い込んでいて、実はもうすでに37歳の現在でも、恐いものなしに20代の男性にちょっかいを出し、自慢の巨乳を見せびらかすために胸の切れ込みが深く入った服を着て誘惑したりしています。SEXをちらつかせればたいていの男性は多少の興味を持つものですが、それを「SEX目当て」と捉えるか、「本当に自分に興味を持っている」と勘違いするかは人それぞれ。Riaはもちろん「この人も私のことが好き。私って罪な女・・・」と勘違いしてしまうのです。

 

おしゃべりなRiaは、「Davidは私のことが好きなの、だって私にこんなに優しいんですもの」と、誰にでも優しいDavidのことを、自分だけ特別にされていると勘違いして友人グループに言いふらし、「It’s sad」と女友達に哀れがられています。

 

Riaは「MiKA、誰だって欲しい物を手に入れるのにSEXを使うのよ」と説教してくれたことがありましたが、そんな彼女は「私は仕事も一流」とこれまた勘違いしていて、こういうタイプの女性と仕事を一緒にするのはやりにくいだろうな、とつくづく思うのでした。

 

周囲は「It’s sad」と言いますが、私はそれでも彼女は幸せなんじゃないかと思っているのです。だってそんな勘違いのRiaには、6年も連れ添って一緒に住んでいるパートナーがいるんですもの。自分を愛してくれるステディなパートナーがいて、世の中の男性が皆自分に夢中になると信じて若い男性を誘惑し、更に仕事も優秀だと信じて疑わないなんて、私にとって幸せの極みなんですが。

 

自分がすごい美人で、世の男性誰しもが彼女の魅力には抗えないことを、まるで永遠不変の真理のようにRiaが語るので、私は「もしかしたら本当にRiaは美しいのかもしれない」と錯覚に陥ってしまいます。これを書いている今でもやっぱり混乱しています。

 

Riaよ、その自信を少しわけてくれ給え。そしたらもっとルンルンになれるのに。

 

*この記事は2008年5月に某オーストラリア日本人コミュニティサイトに掲載されたものです。

*2023年追記:最近の日本でも、「うちの愚息が・・・」とか、「うちの愚妻が・・・」とか言いますか?そろそろもう死語かしら。

 

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Photo by Mert Talay on Unsplash

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