オーストラリア・シドニー | オーストラリア国際恋愛

私達って選びすぎ?

2020年1月3日

昨年の話ですがシドニーで配布されているフリーニュースペーパーで「Are we being Choosy?」という記事を読みました。その記事の要旨は「結婚する人が少なくなっているのは私達が選びすぎているからだろうか。結婚しなくても生きていける女性が増えている中で無理強いされて結婚する必要がなくなり、それによって女性が相手を選ぶクライテリアも増え、それをクリアする相手がいないから皆結婚しないのであろうか。デンマークの皇太子に嫁いだMaryさんのようなおとぎ話を理想としている人々が多くなり、そうでなければ結婚しなくてもよしとしているオーストラリア人女性はますます独身率が高くなるのであろうか。」といった感じのものです。

 

2004年にMaryさんがデンマークのFrederick皇太子に嫁いだ事実は、オーストラリアのお姫様願望を持つ女性に少なからず希望を与え、「私もいつか王室に嫁ぎたい!」という気持ちを煽ったものでした。おかげでチャンネル10に「Australian Princess」という粗野なオージーガールをプリンセスに仕立て上げるリアリティ番組まで生まれてしまったほど。

 

私がその記事に興味を持ったのは、この「結婚相手を探しにくい現実」にオーストラリアも気づいていて、それは男性も女性も昔のように無理やり結婚しなくても生きていける状態があることに原因があるのだろう、という意見を掲げていたことです。おそらく日本でもアメリカでもイギリスでも全く同じ現象が起きているのではないでしょうか。これは国の問題でもなく、個人の問題でもなく、そういった世代に私は生まれついてしまったのではないかと感じて、なぜか少し安心したものでした(一人じゃないというおかしな連帯感?)。

 

私はChoosy(選り好み・こだわりがち)なのでしょうか?もしかしたらそうかもしれません。過去を振り返ってみると、私がつきあって別れた殿方々は、私の知る限り私と別れた後すぐ結婚したか、私と付き合う前に結婚していた過去のある人たちが多数を占め、過去10数年の間に私の過去のボーイフレンド達と私の間で、もしかしたら私だけが結婚した経験がないような気がします(今これに気がついた私は我ながらちょっと驚愕)。その理由はおそらく私が結婚にまるで興味がなかったことと、結婚しなくても生きていける意志があったこと、そして無意識にChoosyになっていたことだと思います。彼氏としてつきあっていけても、結婚するとなると考えてしまう、相手の経済力だとか、学歴、仕事、容姿、年齢、国籍、離婚歴等。今までは若かったこともあり、余計な責任や心配事を背負い込むくらいであればこのまんまでいた方が気楽でいいや、と無意識に思っていた感があると改めて気がつきました。

 

その「このまんまでいた方が気楽でいい」という気持ち、実は今でもあるんです。散々オージー男性の無責任さについて書いたこともありますが(「オージー男性にもてあそばれないために」)、実は女性側にもそれがあることもあり、仕事もあってそれほど不自由のない生活を既に始めてしまっているインディペンダントな女性は無理に結婚しなくても生きていける力があり、妥協することのない、本当の愛を見つけない限り結婚したくない、という気持ちを潜在意識に持っています。

 

だから真実の愛に近いものが見つかったとしても、いざプロポーズされたりすると途端に怖気づいてしまい、深く考え込み、「自分より収入が低いから、今はいいけど将来的に子供を産むときにストレスになって喧嘩するかもしれない。」とか「いい人なんだけどセックスの相性があまり良くない。」とか「糖尿の気があるから10年後にはどうなっているかわからない。」とか微細なマイナスポイントを見つけてはお断りしてしまったりするんですね。結局は飛び込む勇気がないのかもしれません。だから世の女性は前述のおとぎ話のように「皇太子レベルにプロポーズされたい」と儚い夢を持ち続けるのでしょう。

 

私の知人の中に「ピーンと来て結婚した」という人が二人います。私はそれが理想的な結婚のあり方であると思っていますが、やはりそんな経験を持つことができるのはよほどラッキーな方々のみで、たいていの人が妥協と勢いとタイミングで結婚を決めているのが現実でしょう。真実の愛だとかロマンスだとかいうものはこのマテリアリスティックな世の中で見つけることが非常に難しく、哀しいかないつまでも小娘のように結婚の条件を「愛」と掲げている人は残りゆく運命にあるのです。

 

ひとりで生きていくことに気楽さを感じているけれども、パートナーがいるほうがより豊かな人生を送れることはきっと事実なんだろうと思います。一生一人で生きていくよりも、誰か愛する人と二人で助け合いながら生活していく方が経済的にも精神的にも意義があると信じて人々は結婚するのですから。Choosyな人はそれを理解しているからこそ自分自身の心の葛藤に苦しんでいることでしょう。そしてたいていの人がプライドが高いためにそれを認めたくなく、強がってしまうのです。妥協は必要、とわかっていても譲れないものは譲れないんですよね。

 

Choosyな私が気楽に生きていく秘訣として、切り替えの早さがあります。今までの経験上、デート相手に少しでも怪しいそぶりがあったり、終わりが見えかけたりするとさっさと気持ちを切り替え、2度とこちらから連絡を取りませんし、シャットアウトすることもあります。そして次の出会いを探します。いつ真実の愛を見つけるか、未来は全く読めませんが、楽観主義の知人が半分哀むように「絶対にいつかいい人が現れるから」と言ってくれるのを信じて2007年を生きていくことにします。いい人に出会うのが来月なのか、はたまた10年後なのかわかりませんが、「いつか」出会うのであれば多少の希望はありましょう。

 

仕事があって、健康に毎日を生きていられる、それだけでも十分幸せですよね!

今日もルンルンのMiKAでした♪

 

*この記事は2007年1月に某オーストラリア日本人コミュニティサイトに掲載されたものです。

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Photo by Matthew Henry from Burst

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